『フランソワ・トリュフォー』原書房

IMAO2006-04-06

映画感想のブログですが
例外的に映画関係の本について・・・


10年程前にパリに旅行した時にトリュフォーの墓参りをして
そしてこの本の分厚ーい原著を船便で送ってもらったのを
思い出した。
でも僕のフランス語なんて非常に怪しいし、その原著は
押し入れの中でキレイなままだったりするのですが、
今回訳された本を読むだけでもまるまる一週間かかったので、
これを書いたアントワーヌ・ド・ベックとセルジュ・トゥビアナ、
そして翻訳、出版までこぎ着けた方々にまずは感謝であります。


トリュフォーに関する本は日本ではやはり山田宏一
の著作によるモノが圧倒的だし、名文、名訳である事は
否定出来ない事実なのだけれども、この本を読むと、
やはりトリュフォーという人物が如何に多面的で、
秘密の多かった人物であったかという事が改めて判る。
そしてそれもまた多分永遠に明かされる事のない
秘密の一部でしかないのだろう。


トリュフォーの映画は正に彼の人生の反映だったし、
彼の人生もまた映画の様だった。
彼は彼のほとんどの映画の主演女優と関係を持った
のは有名な話だが、それは人が思う程決して良い事
ばかりが起こった訳ではない。
例えばフランソワーズ・ドルレアックカトリーヌ・ドヌーブ
という世界を代表する姉妹女優の両方とも彼は関係を持つが、
姉のドルレアックは若くして死ぬ。
そうした体験を彼は「二人の姉妹と一人の男の関係」を
描いた『恋のエチュード』という映画で追体験する・・・・
カトリーヌ・ドヌーブとは幸福な恋愛をするが、彼女と
別れた後辛い鬱状態に一年以上陥る。
その時の体験が『恋愛日記』や『隣の女』といった映画の
ベースに生かされる・・・


要するに人生が映画を補完し、映画が人生を補完するのだ。
こんな行為はマゾ的でさえある。
だがそんな辛い思いをしてまで映画を撮り続ける事が彼には
どうしても必要だったのだろう。だからこそ彼の一部の映画は
「狂気にも似た」切なさに満ちている。
彼は正に映画を、そして人生を「闘った」のだ。
その事をこの本は詳細に記している。