68.『エスター・カーン』(再) DVD 69.『乱れる』(再)  NHK-BS2

  • エスター・カーン』

この映画を観るのは多分4回目くらい?
改めて観直してよく判ったが、デプレシャンは相当のトリュフォー狂い、
という事だ。技術的なオマージュもたくさんあるが、
何よりも精神的な部分でトリュフォーに共通するモノを感じる。
それはこの映画が「女優」の映画だから余計そう思うのだろう。

うーん、久しぶりにこの映画を観るが、
凄く良かったのだが、どうして良かったのかが説明不能なのだ。
夫に死なれて、その家の店をずっと切り盛りしてきた
高峰秀子演ずる義理の姉。
そしてその家の実の息子(加山雄三)。
その恋愛関係の過程を描いた作品だ。
だが脚本でみればハッキリ言って大した要素はまるでない。
よく出来た映画に形容される言葉で『透明な文体』というのがあるが、
そういうのともまた違う不可思議さに成瀬の映画は満ちている。
成瀬の映画は演出が見えない訳ではなく、
それどころか脚本としては破綻さえしているのでは?
とさえ思える部分もある。
その代表的な部分がラストの方、高峰秀子が故郷に帰る列車のシーンだ。
高峰秀子は全てを捨てて実家に帰るのだが、その列車には自分に
恋している義理の弟・加山雄三が乗ってきてしまう。
普通の映画ならそのシーンは説明程度にしかならない
長さで編集されるべき所だろう。だが成瀬のこの映画では異常な程
このシーンが長い。多分、成瀬にとってはこのシーンこそが一番の
「溜め」のシーンだったのだ。
このシーン中で高峰と加山雄三の距離が心理的にも物理的にも
叙々に近づいてくる様が示される。
観ている方も様々な事を考える。
これからの二人の事、今までの彼等の生活・・・
そうしたモノが彼等登場人物の心情と重なる時間として必要だったのだ。
そしてこの「時間」こそが観客を劇場に拘束させて鑑賞させる
「映画」というメディアにとっては重要な武器なのだ。
だから成瀬の映画はテレビドラマには絶対に成り得ない。
もしこのシーンがなかったら、何の感情起伏も説明されないで
恋愛シーンに突入する普通のメロドラマ以上のモノにはならないからだ。

だがそういうテクニック的な部分は成瀬の映画においては
瑣末な事にさえ思えてくる。
それよりも凄いのはやはり「顔」だ!
ラストシーン、死んだ加山雄三の姿を追いかける高峰秀子の顔!
あんな表情を映画の中で観れる事は、めったにない希有な出来事だ。
もちろんそれまでのシーンの積み重ねが
この高峰の表情に意味を与えているのは重々承知なのだが、
それにしてもあの動き、表情・・・
それは正に映画の奇跡なのだ。