22.『スティーヴィー』 ポレポレ東中野

IMAO2006-03-17

演出的には正直嫌いな部分もある。
特に音楽の使い方はちょっと安直だと
思ったりもしたのだが、全体として見ると
やはり「強い」モノを感じた。
それは多分、この映画の監督スティーブ・ジェイムスが
「撮る」事の功罪について自覚的だからだろう。


フィクションにせよ、ドキュメンタリーにせよ、
人間を撮るという行為において、
カメラは武器にもなれば、凶器にもなる。
ティーブ・ジェイムスはこの映画を撮る中で、
その事に気付き、その狼狽を隠そうとはしない。
彼が被写体として捉えていたスティービーとは
友情が芽生えている。だが、それでも尚彼にとって
ティービーは「映画の素材」でもあるのだ。
その事が彼を引き裂く。
彼は常に自問していたに違いない。
「こんな事をしていて、意味はあるのか?」
「この映画はスティービーの為になるのか?」
「ただ単に映画を撮りたいだけではないのか?」
そうした迷いの中で映画は進行してゆく。
結局彼が、この映画がスティービーを救えたのかどうか、
それは誰にも判らない。
ただ、そこに人々が「生きていた」というある記録は残る。
それには価値がある、と僕は信じたい。