130.『硫黄島からの手紙』 T-JOY大泉

IMAO2006-12-09

何と言ったら良いのか?
この映画を観終わった直後より、
次第にその重みが堪える、そんな映画だった。
多分、この映画はある意味言葉を越えた所にある。


ケン・ローチの映画がスクリーンがまるでガラス一枚を隔てた
世界をそこに再現させる様な映画だとするなら、この映画
は正に我々がそこにいる様な錯覚を起こさせる圧迫感と緊張感
を強いられる映画だ。そしてそれこそが正にイーストウッドの狙い
でもあったのだと思う。この『硫黄島からの手紙』は『父親たちの星条旗
と姉妹作ではあるのだが、そういう意味ではまったく違う映画でもある。


イーストウッドの映画の中でもこんなにイーストウッドの存在を
感じた映画もない。しかもイーストウッドはこの映画にワンカット
も出ていないのに、である。
この映画のカメラはまるで見えない登場人物の一人であるかの様に
静かに、そして佇むかの様にそこにいる。そしてそれはまさしく
イーストウッドの存在そのモノだ。
彼は何も言わないし、何も強要はしない。
けれども彼の存在は明らかにある主張を貫いている。
それは多分こういう事だと思う。
「私はフィクションを撮っている。
だがこれは現実についてのフィクションなのだ。」と。