120.『四季・ユートピアノ』(再)  NHK録画

IMAO2005-12-23

もし墓場まで持ってゆく映画を10本選べと言われたら、
その内の一本になるであろう映画。
友人がDVD化してくれたのを
パソコンでファミレスで観始めたら、
止められず最後まで観てしまう。


佐々木昭一郎は孤高の作家だ。
彼の作品はNHK特集などで何度か放映されたり、
その後再放送されたりした。
そして一度ビデオ化されたりもしているが、
今はなかなか観る事が出来ない作品が多い。
だが彼の才能はその後の才能を生んだ。
河瀬直美是枝裕和は精神的には彼の娘であり、息子だ。
それは彼等の発言や作品を観れば良く判る。
多分、佐々木昭一郎という作家がいなければ
彼等の作品は無かっただろう。たとえ、作品が生まれたとしても
全く違うモノになっていただろう。
是枝はあるインタビューでこんな事を言っていた
佐々木昭一郎の作品を観て、
 テレビというモノにも可能性があると思った。」


佐々木の独創性は、その才能の現れだと思う。
同じ様なスタイルの作家は世界的には何人か思い当たる。
(例えばケン・ローチダルデンヌ兄弟・・・)
彼等のスタイルは「生活する人間、そしてその環境」
を作る事から始める。そして、彼等の生活を「観察」するのだ。
だが、佐々木はそのスタイルを自らの手で、作り出していった。
多くのドキュメンタリーの現場やラジオ作家としての経験が
彼の才能を鍛えたのだろうが、そこに直接の師匠や影響を
与えた人間はいなかった筈だ。
その方法論を彼はもう20年以上も前に確立していたのだ。
そしてそのスタイルは彼独自の唯一無二のモノだ。


彼の作品を観ると如何に映画というものが、
技術や金銭だけでは推し量れないモノであるかが分る。
技術的な事を言えば、こんなにダメな作品もない。
カット割りも存在しなければ、映画の話法も無視されている。
ある意味、自主映画と区別が付けられない様なモノだ。
だが、そこにあるのは紛れも無く「映画のリズム」なのだ。
彼は言葉だけでは説明出来ないイメージと音声で物語を構築する。
それは時に音楽的であったり、詩的であったりするのだが、
その印象は佐々木作品でしか味わえないリズムが確実に存在している。
彼は「生きている」人間を捉え、そのイメージを増殖させて
僕等に投げてくる。その衒いのない直球に僕等はただうろたえるだけだ。
今観たものは一体何だったのか?一瞬分らなくなってしまう時さえある。
彼の作品はそれほど特殊で、普段テレビでは観られる事のない映像だ。
こんな作品郡があのNHKで流されていた、
という事実だけでもある種の奇跡だ。


もうネガもプリントもなくなってしまっているのだろうが、
もし可能であるなら、佐々木の作品を一度フィルムで
再構築してもらいたい。
そして彼のレトロスペクティブを何らかの形でやるべきだと思う。
それはNHKの義務だと思うのだ。


※ex『夢の島少女』について
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