112.『父親たちの星条旗』 T-JOY大泉

IMAO2006-11-03

何だか苦労した割には得たモノが
少なかった様な仕事が一段落し、
また映画館通いが始まり選んだ一本目がコレ。
本当は激務の中三本位観てますが、
忙しい時は平気で寝てしまうので観ていないも同じ^^


この映画、ハッキリ言って名作だが人は入らないと思う。
実際この日のレイトショーに並んでいた客のほとんどは公開されたばかり
の『デスノート』目当ての人だった。それに対していくらレイトショー
とはいえ、この映画に来ていた人は僕をいれて5人位しかいなかっただろう。
アメリカというブランド力がなくなり、アメリカ映画そのモノから
人が遠のいているのが、最近つとに感じられる。

トリュフォーもことあるごとに発言しているが、苦労したから必ずしも
良い作品になったり、ヒットしたりしないのが映画というモノだ。
それは人生そのモノにも通じる言葉で、まさしくそういう事が
描かれている映画です。


人生には「ストーリー」が必要だ。
一説には人間の脳は「ストーリー」になって始めて記憶として
認知される機能があるそうで、だからこそ恋愛にも、家族にも、
会社にも、そして戦争にさえ、というか戦争にこそ、
ストーリーが必要なのだろう。
第二次世界大戦厭戦ムードを覆すために利用された
硫黄島の英雄たち。彼等は戦争国債キャンペーンツアーに
参加させられ、全米を周る事になる。彼等こそ国が求めていた
戦争の「ストーリー」だったから。
これをチャンスと積極的に協力する者、死んできた仲間達への
想いから自責の念に捕われてアル中へとなってゆく者、
そうした彼等の運命を決して誇張でもなく、かといって抑制
させすぎもせず、正に上質の「ストーリー」として展開させて
ゆくイーストウッドの手腕にはただ唸るばかり。
そうなのだ、彼の映画はやはり本当の意味でのストーリー
であり、フィクションなのだ。それは例えば、
ややもすると複雑になりすぎているポール・ハギス
脚本を慣してゆく様な巧みさにも現れている。
戦闘シーンの表現はこの作品のプロデューサーである
スピルバーグの『プライベート・ライアン』を彷彿とさせる様な
出来だが、イーストウッドの描く血は銀残しの画の中で
これでもか、という程に赤い。この血の赤さを描きたいが為に
わざと銀残しにしたのではないか、と思える程だ。
それは単なる「スタイリッシュ」とかいう安易な言葉では表しきれない
骨太でシンプルな主張を感じる。そしてこのシンプルさこそ、今
世界中どこを見ても誰にも成し遂げられない、
最後のアメリ映画作家としての証なのだと思う。
エンディングロールで本物の従軍カメラマン達が撮った
当時の写真が流れる。その写真に映っている彼等のその後の
運命を想うと、何か堪らないモノを感じないではいられなかった。


パンフで蓮實重彦が書いている通り、キャスティングに関しては
徹底的な「無記名性」が貫かれていて、その辺がテーマとも
密接に連なっている。
ただ軍曹役でバリー・ペッパー出てましたね。
この人今年は『メルキアデス・エストラーダ3度の埋葬』
と続いて作品に恵まれてます。なんかちょいワルな感じが堪りません^^