42.『明日、君がいない』 アミューズCQN

IMAO2007-05-18

7人の高校生達が非常に浅いフォーカスの中に浮かび上がる。彼等の鋭敏な感覚は美しさも醜さも、恐ろしい程敏感にすくい取ってしまう。だからこそ、喜びも哀しみも、恐ろしい程の衝撃力をもって彼等を襲うのだ。ある者はそれに堪える事が出来ずに自らを死に追い込む・・・僕にはもうそんな感覚は判らないが、一つハッキリしているのは、僕はもう二度10代に戻りたくないし、戻れない、という事だ。それはこの映画を観ていて良く判った。
”Some people can sing, some people can't."「歌える人は歌えるが、歌えない人には歌えない」これは天才オーソン・ウェルズの『市民ケーン』の中の台詞だが、そのオーソン・ウェルズを彷彿とさせる様な、若干23才の新人監督ムラーリ・K・タルリのデビュー作。映画が始まった瞬間、「現代の映画」の空気感が漂っている。それは何と言うか劇中の空気感がスクリーンという波打ち際に浸食してくる様な感覚だ。でもこの映画はただ「雰囲気」だけで誤摩化してしまうソフィア・コッポラ等とも違う「巧さ」も持ち合わせている。それは多分、プロデューサー兼撮影監督のニック・マシューズの貢献度も大きいと思うのだが、演者の一人となったカメラが、この映画のスタイルを形作っている。(ちょっと『息子のまなざし』のカメラワークを思い出した)そうした新人監督と名カメラマンの組み合わせというのも『市民ケーン』のオーソン・ウェルズグレッグ・トーランドとのタッグを連想させる。やはり才能というのはどこかで呼び合うものなのかもしれない。
この映画に難癖を付けるのは簡単だが、一つハッキリしている事がある。それは、この作品には「強烈に訴えたい何か」があるという事だ。そんなの当たり前じゃないか!という人もいるかと思うが、そうでない作品が今どれだけ多い事か!?そんな世の中で、これだけ青臭くも強烈なパッションを持った作品にはやはりパンチ力がある。そしてそうした「何か」を言葉だけに頼る事なく、正に映画の表現として提示しようとしたタルリの才能は本物だと思う。
何はともあれ、ここに一人の天才がいる。彼がこの先どういう風に「映画」を変えてゆくのか楽しみだ。そしてそういう特権こそが天才の役割だと思うのだ。