11.『アメリカン・ギャングスター』 吉祥寺東亜興行

IMAO2008-02-01

映画の登場人物達は「役割」を生きている。「善玉」と「悪玉」、「男」と「女」という具合にお互いがお互いを補完し、必要とされる「鏡」として存在している。
この映画の場合もそれは同じなのだが、この主人公2人の在り方が現代的だな、と感じるのはその役割分担が限りなく希薄になってきている点だ。この2人はどちらが「善玉」でもあり「悪玉」でもあるし、どちらもマッチョかと思うと、とたん母性を発揮したりもする。それは例えばラッセル・クロウが演じる検事が実は色情狂かと思える程の女好きだったり、デンゼル・ワシントン演ずるブラック・マフィアが麻薬密売で巨万の富を得ながらも毎週日曜には母親を連れて教会に行ったりもする、という矛盾とカオスに満ちた世の中を、それでも映画だからシステマティックに見せてしまうあたりが、さすが「職人」リドリー・スコット
リドリー・スコットが生き延びているのは、そのセンスもあるけれども、常に変化し続けているからだ。もちろん今回の映画だって「逆光」もあれば「スモーク」だって焚かれてるし、「自転車」だって走っている。でもそうした「リドリー印」も今ではすっかりマネされて定番になってしまい、今回は前菜程度にしか出てこない。でも彼の作るメインディッシュはもっとタフでヘビーなのだ。これは相当なパワーがないと作れない。それこそクスリでもやってるじゃないのか?とさえ勘ぐりたくなる。
ラストの方で2人が対峙し合うシーンが好きだ。ただの取調室で特別な仕掛けがないのに、非常に見せる。ああいうのは色々な積み重ねがあってこそ生きてくるシーンだし、芝居も非常に難しい。映画ファンサービスデーで、しかも地元で観たせいもあって、入れ替え時に知り合いを2人も見かけた。一人は小学校の時の友達で、一人はマンションの住人。皆意外と映画観てるんだなー・・