(再)『イゴールの約束』 WOWOW録画

IMAO2008-02-25

ほぼ10年ぶりくらいに観直したが、そのシンプルさ、巧みさに今更ながら打たれた。
この映画はダルデンヌ兄弟の作品に共通して描かれる「贖罪」がメインテーマだが、単にそこに留まらない広がりを持っている。この映画で描かれる「国境」「愛情」「宗教」の問題は、そのどれもが一つの映画のテーマとして扱える程の重さを持っている。だがダルデヌ兄弟はそのテーマ性に決して怯む事なく、正面から堂々と、そしてシンプルな方法論で向き合う。
主人公のイゴールは父親と供に不法入国者を泊める宿を経営している。もちろん法律的には違法行為だ。父親はイゴールに法律を破る様な事をさせながらも、イゴールの為に家を買おうと考えている。イゴールに指輪を買ったり、刺青を掘るのも息子に対する愛情だと思っている。それでいて、不法入国者達に対しては容赦のない態度で接する。この父親は決して人格が破綻している訳でもないし、ごくありきたりな生活者だ。ただ、自分達の生活を守る事に精一杯なのだ。
イゴールにしても父親の仕事を手伝わない時は、ごく普通の思春期の少年だ。彼は友達と供にバイクに乗る。そのバイクに乗っている時、風を顔に受けながら走っている時、彼はごく普通の少年に戻る。ダルデンヌ兄弟の映画に登場する少年達は皆一様にバイクに乗るが、それは彼等の少年性の象徴なのだ。
そうした生活も彼等の宿に泊まっていた黒人が死ぬ事で、変化してゆく。その黒人の死に立会ったイゴールは、黒人が最後に残した「妻と息子を頼む」という言葉を忘れる事が出来ない。彼はその黒人を父親の命令に従って、埋めてしまう。でもその後初めて罪の意識を感じ始めるのだ。イゴールと父親は残された黒人の親子を騙し続けるが、彼は少しずつ変化してゆく。そして、その変化してゆくイゴールの痛みこそがこの映画の1番のテーマなのだろう。変化には常に「痛み」が伴う、という意味で。
ダルデンヌ兄弟はそうした「痛み」を決して「説明」はしない。彼等の方法論はいつも同じで、登場人物達の「行動」を映すだけだ。人間がある状況に対してどういう反応をするのか?どういう行動をとるのか?そうした事をなるべくシンプルな画と音声だけで示す。そこには何の説明的な台詞もない。だが彼等の表情や行動を観ているだけで、彼等の思う事、考えている事、痛み、悲しみ・・を感じる事が出来るのだ。人間の仕草や表情にこんなにも意味があるのか?とダルデンヌ兄弟の映画を観ていると気付かされる。それほどまでに彼らの描く人間達は「生きて」いる。そうした「生きた」人間を再現させるのは、言葉で言うほど簡単な事ではない。実際彼等の映画は三ヶ月近くかけて撮影される、という話を『息子のまなざし』のインタビューで答えていた事がある。ドキュメンタリーの様に見える様でいて、全ては振り付けされたキャラクターであり、作られた物語なのだ。でもそれが作り物には決して見えない。そこには本物の「生」が息づいている。だからこそ彼等の映画には狂気にも似た孤高さに満ちている、と思う。