18.レスラー  シネマライズ

IMAO2009-06-20

プロレスはよく「やらせ」だと言われる。その辺りの事情も包み隠さずこの映画では語られている。段取りがあって、ドラマティックな展開が最初から用意されている。だからプロレスが本当の意味でスポーツか?と言われると非常に微妙なのだが、その辺りの事情は「映画」と似ていなくもない。脚本があって段取りがある。全ては虚構=フィクションの世界なのに、皆が何故かそれを求めている。
なぜフィクションが必要とされるのか?といった議論はさておいて、監督のダーレン・アロノフスキーはひたすら背中を追う事で、登場人物たちのリアルを描き出す。かつてはスターレスラーだった男の背中も、子持ちのヌードダンサーの女の背中も、そのフィクショナルな人生の「背面」だ。語られる事のなかった多くの物語が、傷やしわとなって彼等の背中に刻まれている。主人公が心臓を煩って倒れる時、アレノフスキーはただ彼の後ろ姿を見せるだけだ。しかも今までひたすらクローズアップで見せていた背中から、ロングショットで後ろ姿全体を見せる事で、レスラーが無様に倒れる様を描く。その瞬間に彼の傷の痛みや、彼が感じた吐き気をも僕たちは「体感」する。この映画が単なるフィクションを越えた瞬間だ。