35.『エンディングノート』 新宿ピカデリー

IMAO2011-10-12

結局映像っていうのは何を撮ってもドキュメンタリーであり、フィクションですからね。あのナレーションは善し悪しだとは思いました。ナレーションっていうのは「誘導」としては一番簡単な方法で、だからNHKの番組とかに代表されるテレビっていうのは話すラジオ風な「構成原稿」に頼って出来ている。そういう流れが多くの日本のドキュメンタリーにはあって、僕もテレビの構成原稿書く時は、迷い無くナレーションから入ってしまいますよ。まあ、でもそれを判った上で残るのは、あの主人公(と言って良いと思う)、砂田さんのキャラかな、って思いました。最後までユーモアと感謝の気持ちを忘れないで死んでゆく事はなかなか出来る事じゃない。あのナレーションだって、「死をオブラートに包む」というよりは、砂田さんのキャラクターそのものに敬意をはらった物だと思うし・・
まあ反面(こんな事を言うのは不謹慎かもしれませんが)こんな風に最期を迎えられる人はある意味少数派なのかも、と思います。本当の死というのはある日突然やってくるかもしれないし、もっと苦しみ抜いて死ぬ人も圧倒的に多いと思う。そういう事を考えさせられるだけでも、この映画の意味はあると思います。