2.『ふがいない空を僕は見た』 バウスシアター
不妊症でコスプレ好きの主婦が、高校生と恋愛関係に落ちて・・・という所までが予告編で判っていたので、どうするのか?と思っていたが、意外と深いテーマがあり、面白かった。この話は「生」と「性」を巡る哀しき人間の物語だ。
子供が欲しくても産めない主婦。その主婦と浮気する、まだ性に目覚めて間もない青年。そして助産婦を生業としているその青年の母親。自分は産まれなければ良かったと思っている青年の友人。そうした人々が互いに少しずつ交差しながら、物語は進行してゆく。そこに浮かび上がるのは、性とその結果としての子供という生命の循環だ。皆それぞれに微妙に自分の望み通りには生きることが出来ない。それでも日々生きてゆかねばならない人間の寂しさ・・この難しいテーマを「日常」という、これまた難しいシチュエーションで描いたタナダユキは、これからもっと良い映画を撮る人かもしれない。
田畑智子も永山絢斗も良かったが、永山の友人役の窪田正孝がすごく印象の残った。そういえば昔コスプレ好きのヤオイ漫画を描く女の子と付き合った事があった・・そんな事を思い出したりもした。
1.『人生の特等席』 銀座シネパトス
最終日という事もあって観に行く。この映画はイーストウッドが演出はしていないが、もはや存在そのものが映画のアイコンたるイーストウッドが出演している、というだけで彼の映画になっている。
でもイーストウッドが演出した時ほど毒気はない。それが良いかどうかは好みの問題だが、予告編通りの作りで、皆をそこそこ感動させる作品を作るのは実はそれはそれで高等技術を必要とする。それに今時これほどアメリカ的な映画も少ない。そういう意味では非常にウェルメイドな映画だと思う。
マルパソプロダクション製作なので、トム・スターンを始め主なスタッフはイーストウッド組。撮影も当然フィルム。エンドクレジットにはFUJIFILMの文字。あと何本FUJIの映画が観れるのか?このシネパトスも閉館が決まっているらしい。
2011年個人的ベスト
メモを見ると2011年に観た映画は40本ちょっと。毎年段々減ってゆくな〜。それでも個人的に気に入った映画をメモっておきます。特に順位は決めません。もしDVD鑑賞の参考にでもなれば・・・
■『しあわせの雨傘』
フランソワ・オゾンの映画では一番笑える映画!?
■『ヒア アフター』
かなり無理のある脚本を難なくまとめてしまうイーストウッドはサスガ?
■『キック・アス』
こういう映画が出てくるからアメリカ映画は侮れない
■『トゥルー・グリット』
コーエン兄弟の作品で初めて感動しました。
■『ブルーバレンタイン』
切なくて愛おしい良い映画
■『SUPER 8』
昔自主映画撮ってた人には堪らない映画です
■『さすらいの女神たち』
マチューは、俳優業よりも監督業の方がサマになってきましたね
■『BIUTIFUL』
生と死、光と影、色々と考えさせられた映画
■『電人ザボーガー』
映画館が色々な意味でアツかった・・というより暑苦しかったのか?
■『サウダーヂ』
これもまた日本と日本映画の現実を垣間みた映画
■『永遠の僕たち』
深淵なテーマだけれども、良い意味でポップな感じにまとまってる
35.『エンディングノート』 新宿ピカデリー
結局映像っていうのは何を撮ってもドキュメンタリーであり、フィクションですからね。あのナレーションは善し悪しだとは思いました。ナレーションっていうのは「誘導」としては一番簡単な方法で、だからNHKの番組とかに代表されるテレビっていうのは話すラジオ風な「構成原稿」に頼って出来ている。そういう流れが多くの日本のドキュメンタリーにはあって、僕もテレビの構成原稿書く時は、迷い無くナレーションから入ってしまいますよ。まあ、でもそれを判った上で残るのは、あの主人公(と言って良いと思う)、砂田さんのキャラかな、って思いました。最後までユーモアと感謝の気持ちを忘れないで死んでゆく事はなかなか出来る事じゃない。あのナレーションだって、「死をオブラートに包む」というよりは、砂田さんのキャラクターそのものに敬意をはらった物だと思うし・・
まあ反面(こんな事を言うのは不謹慎かもしれませんが)こんな風に最期を迎えられる人はある意味少数派なのかも、と思います。本当の死というのはある日突然やってくるかもしれないし、もっと苦しみ抜いて死ぬ人も圧倒的に多いと思う。そういう事を考えさせられるだけでも、この映画の意味はあると思います。
22.『SUPER 8』 吉祥寺東亜興行
今時映画も写真もフィルムで撮られる事は少なくなってしまった。かく言う僕の仕事でもフィルムで撮られた作品はない。それが悔しくて趣味でやる写真は今でもフィルムで撮っている。
フィルムかデジタルか?という議論には市場的にはもう結論が出ている。若い人とたまに話をするとフィルムそのものの存在を知らないし、ましてや8ミリカメラの存在さえ知らない人がほとんどだ。まあ確かにデジタルは便利だし、僕も仕事上ではその恩恵を多いに受けている。画質的にもクオリティー的にもフィルムと同等かそれ以上の能力のあるデジタルだが、どうしてもフィルムでなくてはならない、という所があるとしたら、それは「何が映っているのかがその場では判らない」という事だと思う。それは欠点なのでは?とあなたは思うかもしれない。でもある一定の時間ー現像という時間を経たからこそ見える部分だってある。そう、映画も写真も「時間」を封じ込めるものだから、撮影した物がその場ですぐに見れてしまう事には未だに抵抗感がある。そういう部分こそが写真や映像の神秘性であり、魅力なのだと個人的には考えているからだ。(実際、写真家の古屋誠一の様に、撮った写真をしばらく現像しない人さえいる)ネガやポジがあれば失敗やアクシデントは必ず「形ある物」として残る。そしてその「失敗」の中にこそ本当の可能性があるのだ。
この映画の中でも現像に時間がかかり、失敗だと思っていたロールの中に大変な物が映っていた、というシーンがこの映画のキーとなっている。この点1つとっても元自主映画作家の心をくすぐるシーンがたくさんある。好きな女の子を出したいが為に映画を撮るのか?それとも映画が好きだから女の子に出演交渉をするのか?そういう細かい演出1つ1つが懐かしい気持ちにさせてくれるし、プロデューサーのスピルバーグの『未知との遭遇』や『E.T.』へのオマージュもたっぷり含まれている。
昔、8ミリカメラを小道具に使った映画のプロットを考えていた事があった。でももうずっと止まったままだが、ちょっと思い出してまた書いてみたくなったりもした。それよりも冷蔵庫の中に眠っているシングル8と16ミリのフィルムをまずはどうにかするべきかもしれないが。
17.『トゥルー・グリット』 バウスシアター
この物語の主人公でもあり、語り部でもある少女は復讐を遂げた瞬間に穴に落ちる。暴力を暴力で制した者は罰せられなければならない、そんなあまりにも判りやすい展開だが、不思議と白ける事はない。この少女の持つ好奇心が、僕たちの心を捉えて離さないからだ。彼女は木のツタに脚を絡ませながらも、すぐ近くに横たわっている死体を発見する。彼女はそこで普通の少女なら絶対にあり得ない行動に出る。わざわざ死体を自分の方にたぐり寄せ、その胸元を開いてみる。そこから出てきたのは毒蛇の群れだ。毒蛇に手を噛まれ、彼女はやっと自分の無力さに気付くのだ。今まで復讐の為に気張ってきた思いも、強く見せかけ様としていた態度も崩れ、全てを老保安官に身をまかせて、2人を乗せた馬は夜の荒野をひた走る。その姿に素直に心打れた。
出演した役者は脇役も含めて、皆素晴らしい。マット・デイモンもバリー・ペッパーもエンドタイトルが出てくるまで本人とは判らなかった。でも何よりもこの主人公である少女を演じたヘイリー・スタインフェルド!この娘なくしてこの映画はあり得ない。奇跡の女優となれるかもしれない逸材。